LastoRder’s blog

芸術は心の栄養

習慣を作るのは大変?

何か新しく習慣を作ろうとした時、やりがちなのは、、、

頑張りすぎてしまう事。今日から毎日1時間勉強する、運動する等々、現在ある自分の位置、レベル以上の高い設定を決めすぎて、早々に挫折してします傾向にありますね。気持ちは痛いほど分かります、が、、結局長続きしませんね^^。

なので、私は、最初から頑張りません!!1日10秒ぐらいから始めます。必要な道具も揃えません。あるもので始めます、無ければあるもので出来るか考えます。このやり方にしてから、長続きするようになりました。元々ない習慣を始めるということは脳に対するストレスなので、なるべくストレスの掛からない10秒からスタート!!このブログも同じかなと!!少しづつコツコツと積み上げていきましょう!

私の体はお酒に弱い

私の体はお酒に弱い。

なので、良い酒、悪い酒の判断が付きやすいのです。良い酒を飲んだ時は身体へのダメージが少ないです。肝臓を始め、頭などの痛みもないです。問題なのは、悪い酒、安い酒は体内に入った時点ですぐに反応します。なので、わかりやすいです。今日も悪い酒を飲んでしまいました。分かっていたのに、体は拒否反応を起こし、気持ち悪いです。。。明日どうしよう

聞こえの良い言い訳に流されない様に

私は言い訳をする自分が嫌いである。

自分だけならまだしも、人にも同じ熱量で接してしまうので人間関係はおのずと狭くなる。どういう事かと言うと、世間では正当性のある真っ当だと思われる言葉達、例えば「歳だから」「家庭があるから」「忙しいから」、、、使っている本人達には最も正当性があり自身を痛めつける事無い言葉なのだろうが、私からすれば最悪の言い訳なのである。

歳のせいにして、いろいろな事を諦めたりするのは構わないのだが、「歳だから」と言う発言は本来非常に恥ずかしい発言だと認識しても良いのでは無いのだろうか。「歳だから」という発言が出るときは決まって、何か困難な事が目の前にあったり、他人と比較してみたり、ある程度、今の本人の能力では難しい事柄に出くわした時に出る発言で、家のドアを開けようとする時に「歳だから」と言って、ドアを開けない者は恐らくいないだろう。

歳のせいにすると言うことは、元来非常に簡単な逃げ道だと私は捉えている。歳のせいにすれば、「考える」と言う作業を全くしなくて良くなる。その時点で、その物事に対しては悩まくて済む、しかし、最悪なのは本人に言い訳という自覚が殆どと言って良いほどないので、これから先、その時点での本人の能力以上の事柄に当たった際に、また同じ事をするというループが出来上がり、永遠にそこから抜け出せなくなってしまうである。即ち、成長する気がないという事。

世間では妥当な最もらしい言葉なのかもしれないが、私にとっては最悪の言い訳だと思っている。もしも、本当に解決しようとする気があるのであれば、この様な言葉は出てこない。それよりも、どうすれば解決できるのか、どうすればより良くなるのか、そんな言葉が口や行動を通して出てくるはずなのである。

ベンチプレス 大会初出場に向けた準備

ベンチプレス 大会まであと一ヶ月!

現在通っている方に誘われて、ベンチプレス 大会の出場を決めた。

今年に入って本格的に始めたベンチプレス という奥の深すぎる競技。正直、始める前は大男が重量を持ち上げる猛烈パワー種目だと思っていたが、、、本当のところは超繊細技術種目だと、今は感じている!毎日の様に背中がハリ、柔軟体操の連続。パワーとは程遠い作業を淡々と。

そんな事はさておき、大会まであと1ヶ月程。初めてなので勝手はよくわからないが、とりあえず毎日の様にベンチプレス に寝っ転がり、バーを上げたり下げたり。一体、私は本番で何キロ挑戦することになるのだろう?

 

私の夜の日課である、短距離走中に悲劇は起きた。

それは、普段と変わらない梅雨も終わりを迎えたある日の夜。

私はいつも通り、ペンとノートそしてストップウォッチを片手にお気に入りの橋へ向かった。

軽い準備体操をし、体の節々に違和感がないかを自らの体に問いかけながら入念にこれから始まる短距離走の準備を行った。前日の30Mダッシュでは感覚が良かったので、今日は少し出力を上げた状態で40Mを数本走る予定だった。橋の上にある街灯が向かいから来る部活帰りの高校生を照らしつけ、私も若い奴には負けじと体と心の準備をするのである。

橋の上に人もいなくなり、舞台は整った。後は、無限に続いているかの如く立ちはだかる街灯を横目に全速力で夜の心地よい風を切って走るのみ。

1本目、体調は至って良し。それなりに思い通りの走りができた。

2本目、左手に強く握りしめられたストップウォッチのタイムが1本目に比べいくらか早くなり、心の中で小さくガッツポーズと同時に3本目をどうやって走るかを思考する。

3本目、スタートに立つ。脳の中で完成された理想の走りを思いながら、私の目線は橋のはるか彼方、まるで空を自由に飛び回る猛禽類の如くゴールに向けて一直線。イメージは最高潮に。いざスタート。1歩、2歩とヨチヨチ歩きの赤ん坊の如く一歩ずつ大地を噛み締めながら全速力で走る。ちょうど6歩目を踏んだ頃だろう、スピードも乗ってこれからだというときに悲劇は起きた。そう、左足のハムストリングに突如違和感が走った、だがスピードに乗っている私の体は急には止まれない。ほぼ右足けんけんのような形でゴールを迎えた、その場で倒れこみ痛みに耐えようとするも、時間が経つのを待つしかないような痛み。倒れ込んだ私の左手にあるストップウォッチは無情にも時を刻み続けていた。

当分の間、走ることは愚か歩くことさえも困難な体へとなってしまった。なんとも情けない気持ちである。しかし、めげていても仕方ない、起きてしまったからには、1日も早く走れるように治療に全力を掛けよう。

最後まで読んで頂いた方、大変ありがとうございました。

明日以降は肉離れを全力で治す過程を描いていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします!